井上淑彦オフィシャルホームページ

2015年1月11(日曜日)

2015年1月11日@DOLPHY
【fuse along with clepsydra and zephyr】3日目
clepsyfus
林正樹(p)仙道さおり(perc)from clepsydra
田中信正(p)坂井紅介(b)つの犬(ds)from fuse@野毛「DOLPHY」

 fuseファンである私は、clepsydraも、今回隠れていたバンド「のぶまさき」(田中&林)も初めてです。
 (clepsydra恒例だそうです)開演前の注意事項とメンバー紹介をする「キャラになりきった」仙道さんに、fuseを代表?してつの犬さんの猫キャラ「ウッディ君」が絡む。
紅介さんが「…いつもこれやるんですか?」「井上さん、どんな顔してるの?」fuseの面々の知らない井上さんの一面が…。

1st set
1.「Fireworks」
(この曲のみ「のぶまさき」)
音色が溶け合い、ニュアンスの一体感、それでいながら小さくまとまらない伸びやかさ。素敵でした。
2.「やんちゃな少年」
ドラムとパーカッションの個性、アイデアの違いが見えました。
3.「un jour」
clepsydraのレパートリー。作品自体が持つ世界観が、fuseの曲より強い気がする。
clepsydraの二人はもちろん、fuseの三人も作品に溶け込む。ここはclepsydraの時間。
途中で「弾かない時間」を選択した紅介さんが好き。
4.「Flood」
themeの後すぐフリーになるfuseの曲。 紅介さんが、やはり(笑)前日のレソラパターンの合図を送ってくる。
客席には理解者がたぶん10人弱。だんだん理解者が増えたのか?手を叩く音が大きくなったような。
2nd set
1.「Who is it? 」
fuseの曲だけどclepsydraでもやった事あるらしい。初日は3人で1小節づつ代わる代わる弾いた大変なtheme、今回はピアノ2人ユニゾンで。
2.「 冒険」
両方のレパートリー。 ここで、冒頭の仙道キャラ&つの犬「ウッディ猫」が復活。
仙道さん「そうやって冒険に行くんだね!」 つの猫「…毎日が冒険なんだよ!」。 なんかとても説得力あり。
3.「林さんのレソラ」(井上さんから、レソラを使う課題が出されていました)
ほぼレソラのみで構成された緻密な曲。fuseでも井上さんでも、たぶんクリプシドラでもない世界。
「ソたち」という曲があるそうで、つの犬さんいわく「これ、得意分野?」。
今回のレソラ課題、ここが(当然ながら)井上色の最も少ないところでもあり、また、作曲者それぞれの捉え方個性がはっきり見え、いろいろな世界が聞けました。
4.「Breathe in-out 」
fuse曲。ここはfuseの時間。
アンコール 「ずっと」
ピアノのメインは林さん。いつもと違う「ずっと」が聞けました。

~fuse、クリプシドラ、のぶまさき、それぞれのバンドが、独自の表現方法を持っていました。
井上さんもまた、表現したい色々なものを、「zephyr」「clepsydra」「fuse」などそれぞれのバンドで、それぞれの形で表現しているのだなと。
井上さんのいらっしゃらない3日間、井上さんが見えた、井上さんの存在を感じた3日間でした。

2015年1月14日 中島由紀子

2015年1月10(土曜日)

2015年1月10日@DOLPHY
【fuse along with clepsydra and zephyr】2日目
fus 田中信正(p)坂井紅介(b)つの犬(ds)from fuse@野毛「DOLPHY」
この日はfus(fuseの井上さん以外の3人)にゲスト仙道さおりが加わる予定が、数日前の告知でfusだけに変更になっていました。)

 毎年1月初めのfuse3daysは、井上さんが新曲を多く(確か1.2年目は全曲!)書下ろす。今日はコンスタントに井上さんが曲を書き続け、レパートリーが増えていく事でライブで演奏される事が少なくなっていた初期の(個人的にはLiveCDで最も聴き込んだ思い入れのある)レパートリーが随分登場しました。

 3dasyに行く事で知り合った方々がいます。2日間、3日間来る方達は、同じ曲でもその日の演奏によって音楽が全く変わってしまうのを知ってしまい、それを聴きたくて来てしまう方達です。
fuseはそんなBandです。
私は'98 fuse結成直後から年に数度ずっと聴いています。 初めての"fus”(6.7年前?)も聴きました。昨年(2014年)11月に引き続いての"fus”ですが、私は久々です。

1st set
1.「North Rider」
落ち着いたテンポ。solo changeの方法も変化。「このテンポでやってみたかった」つの犬さん。私はこの表現方法も好きです。
2.「Birth of Life」
構成、アレンジは変わらないけれど、themeのsaxpart分をpfがカバー。さすが田中くん。 dsのバランスのとり方も絶妙。
3.「Gratitude」
大好きな曲、久々でうれしい。
4. 会場参加型「レソラ」遊び by紅介さんのアイデア、指導。
「レソラ」を使って何か(遊びでも曲でも)やる、と言うのが、井上さんからメンバー全員への今回の「課題」。
レソラ(ラは「打」に読み替え。会場はラと一緒に叩く)のパターンが2種類、紅介さんより提示。合図により どちらかを数回弾く。この組合せ+αを皆で。今日はこの後、いろんな場面でこのパターンが登場する予感。
いや確信あり。だってfuseたもん(笑)
5.「Fire”のぶ”works」by田中さんアレンジ
何度となく聴いておりメロディ歌えるはずの「Fireworks」。今日は「あれ?どんな曲だったっけ??」後テーマでやっとメロディが追え、ハーモニーや拍子でこうも曲って生まれ変われるのね、としみじみ。
6.「冒険」byつの犬さんのリズムアレンジ
紅介さんが「みんな、好きな曲アレンジしてこようって言ったら、bassのパターン作ってきたりするんだよぉ。余計なお世話だよ。(笑)」って言われていたけれど、つの犬さんは自分のパターンを変えてました。(笑)
2nd set
1.「Grasshopper」by紅介さんアレンジ
ほーら、やっぱり「レソラ」パターン出てきちゃった、参加しちゃった~。
ライブ後「千の風、弾いたのわかった?」と、田中さん。気が付き損ねたけど「茶摘み」も弾いてたよ。
2. 田中さんの「レソラ」曲
1st setのMCの中で、後半に田中さんのレソラ曲をやる話をした時の「・・・・がんばります!」と言った紅介さんの顔。
つの犬さんの顔も変わっている。たまたま、前日のライブ後、紅介さんが田中さんに「ちょっと弾いてみてよ」。つの犬さんと2人で聴いて、つの犬さんが田中さんと話し合ったりしているのを横目に見てました。そして、今日の本番。
こういう風に音楽が作られていくのだな と。 曲は井上さんの色とは違う、fuseにはなかった世界。でも曲が広がっていく感じはやっぱりfuse。
3.「Little Tree~Witchi-Tai-To~I kin ye」
MCでつの犬さんがLittle Treeという曲、そして小説に対する思いの丈を。
I kin yeは、初期 毎回演奏しどんどん変わっていった、懐かしい曲。
Liveではあまり聞いていない(やっていない?)シンプルな曲、Little Tree。そのシンプルなメロディとパターンが淡々と、でも深く静かに存在する。印象に残った1曲でした。
4.「Flood」
前日に引き続き。これはいつものfuse。
アンコール 「ずっと」
いつもより「太い」音楽でした。

 今日は井上さんがいらっしゃらない3人。井上さん以外のメンバーの曲、アレンジも含まれるという違いもありました。
今に始まった事ではないけれど、fuse(そしてfus)は、どう展開するのか転がるのかわからないスリリングさ、誰かが曲の中で「遊びに」行って他の人が守ってたり、みんなで一緒に遊んだり、外れて行ったり。でも、お互いに尊重して聴いているからアンサンブルは自在。それぞれ自由。牙をむいたり、おちゃめだったり、静謐だったり、熱かったり。表現の幅が広い。バンドの信頼感、共有感、テンションは高いけれど神経質ではない。上手くいかないところもひっくるめて、丸ごと認めて「それが音楽である」事。音楽って生き物。その時どううごめくかわからない・・・。なんか、結局、人生と一緒じゃん。でもfuseが最初からそうだったって訳じゃない。メンバーの意欲やアイデア、自由さ、やんちゃさを、リーダー井上さんが認め、おもしろがり、時には諦め(笑)「野放し」にしてこんな風になったと思います。

 井上さん、お待ちしております。生き物fuseを さらにうごめかせて下さい。

2015年1月11日 中島由紀子

2015年1月9(金曜日)

2015年1月9日@DOLPHY
【fuse along with clepsydra and zephyr】1日目
fuzephyr
田口悌治(ag)天野丘(eg)from zephyr  
田中信正(p)坂井紅介(b)つの犬(ds)from fuse@野毛「DOLPHY」

弾く者同士
 井上さんのいないfuseとzephyrでfuzephyr。そよ風を吹かせたり、疾風のように駆け抜ける井上さんがいないとなると、後は広い意味で弾(はじ)く楽器のみが残って、横の動き、何かこうグッとひとまとまりに感じられたあの流れはどうなってしまうのか。

 ということは、途中からどうでもよくなってしまって、聴いていて感じるリズムが細かくなった分、いつもよりタテ乗りの度合いが増し、一つ一つが次の瞬間への予感を伴いながら、井上さんのメロディーが躍動する。fuseのトリオはいつもより丁寧に音楽の背景となってzephyrの二人を包み、天野さんのギターが空間を漂い、駆け巡り、田口さんのギターは冷静に音楽を形作ってゆく。考えてみればそれは皆井上さんの特徴だともいえて、全体としてみれば井上さんの存在感も確かに感じる演奏だったと思う。

 今回のライブに向けて井上さんの提出した課題(レとソとラの音を使って、演奏する)に、天野さん、田口さんが曲をつくり、弾く者同士で素晴らしい演奏になったけれど、これにどういう風を吹かすのか、復帰後の楽しみが一つ増えました。

2015年1月11日 西村仁志

2014年10月22(水曜日)

原幸子(vo)&堀秀彰(p)&井上淑彦(ts/ss)@野毛「DOLPHY」

語りの延長線上の歌
 原さんの歌を聴いていると、つくづく、歌というのは体を使った表現だと感じる。楽器は表現との間にワンクッションあり、もちろんだからこそ自分の体の一部であるかのように操ることが必要なのだろうけれど、歌はその危うさも含め、繊細さ、躍動感、全て体の感情を伴った、ダイレクトな表現だからだろうと思う。

 声は旋律を表現し、その音はある言葉から成り立っていて、言葉だから当然意味を持ってしまう。感情を意味に寄り添わせ、旋律として表現する、その現れ方が、原さんはとてもシンプルで、自然だ。ライブのために準備した、というより、今たまたま自分の感情に合った歌をうたっている様に自然で、旋律やリズムに装飾をしないので、シンプル。それでも聴く方は躍動感を感じてしまうのは、歌詞の言葉の持つリズムが、呼びかけるように、語りかけるように、でも旋律の形で、率直な感情とともに響いてくるからだと思う。それを特に感じたのは、飛び入りで参加された坂井さん、角田さんのベース、ドラムを聴いた時だった。リズムを刻む、というより、ブランコ
の要領で、タイミング良く漕ぐことで振れ幅が増幅してゆくように、原さんの歌の律動につれて躍動感が増してゆくように感じた。

 あの場で聴いていた人を静かに共鳴させ、心と体をほぐして新しいリズムを吹きこんでくれた同じ躍動感を、きっと井上さんも感じて
いたと思う。

2014年10月23日 西村仁志

2014年9月14(日曜日)

zephyr 田口悌治(ag)天野丘(eg)井上淑彦(ts/ss)@野毛 ジャズ・クラブ・シーン「ダウンビート」

変則トリオの可能性
 音が響かない場所で聴く演奏は、反響がないので、楽器の、特に音の出だしの雑音が聞こえやすくなる。「雑音」とは言っても、例え
ばギターでいえば、爪やピックが弦を弾く音だったり、フレットに触れた弦がヒリヒリと震えたり、サックスでいえば、指の通りの音が出る前の音だったり、息の音だったりで、でもそういうものは演奏者の感情の現れだったり、クセ、とうか長い時間をかけて自分の表現を作り上げていくうちに身についたもだと思うから、意外と音の重要な要素なんだろう。ダウンビートは音が響かない分、演奏者の呼
吸がそのまま聞こえる場所だと思う。
 
 サックスに、ガットギター、エレクトリックギターという編成。田口さんは点と点、というか小節と小節を出来るだけ滑らかな線を描いて駆け抜けてゆき、流れを作るのに対し、天野さんは点と点を、うねったり、空白をつくったり、角をつくったり、着地点を見据えて割と自由に動く。この二つの弾き出される音に対して、井上さんがフッと風を吹かせる。残響のない場所だったこともあり、息遣いの音が聞こえることが魅力の一つになっている井上さんのサックスが、充分に活きている。弾む縦の動きと、息の横の動きの織物。

 それだけも面白いけれど、例えば田口さんが滑らかに滑走することをやめれば、とたんに行く先不安定な緊張感に溢れ、逆に天野さんが滑らかに走りだすとギター二つの大きな流れがうまれ、井上さんは流れに乗ってアクロバットのような動きをする、そんな変幻自在さがこのユニットにはある。井上さんのファンにとって嬉しいことに、また楽しみが一つ増えたと思う。

2014年9月14日 西村仁志

2014年8月28(木曜日).29日(金曜日)

fuse2Days 井上淑彦(ts/ss)田中信正(p)坂井紅介(b)角田健(ds)@野毛「DOLPHY」

ワクワクする疾走感
 今、僕はこうしてここで生きているけれど、いつこの生が始まったのかという記憶は無くなっているし、死んでしまった後では生はないのだから、死を記憶することも無いだろう。頭では始まりと終わりがあるとは解っているけれど、心情的には、一回性の生に投げ込まれて、あたふたしている。そんな大きな話を持ち出さなくても、僕にとって一日の始まりはぼんやりしているし、寝る瞬間というのも定かではない。他の人にとっても、きっと恋愛は一目惚れでない限り、いつ始まって、いつ終わったか、ということは定かではないだろうと思う。何かしら充実していた事は記憶に残り、それを頼りに、また新たな一回性に投げ込まれて、起きたから動きだすのであり、落ちたからあがき続けるのだろう。

 fuseの曲には「始まりも終わりも無い」と、感じる。だから、いつの間にか曲に投げ込まれていて、fuseが疾走する時、こちらもいつの間にか疾走している。目の前に広がっているのはワクワクするようなハプニングの連続。メンバー全員、面白いことを仕掛けたくてうずうずしているように見える、というか、起こってしまいそうな演奏が繰り広げられる。起こってしまったことは、何とかしてしまう息の合い方。画家の即興を観ていて、なにやらおかしな線が描かれ、何だこれは、と観ていると、描画が進むにつれ、「ああ」と腑に落ちる感覚。こちらは音楽だから、一瞬で形にする。その反応の速さからくるスリリングと、形になった時の快感。そんなシーンの連続で、いつ聴いても新鮮であり、気がつけば次の曲に投げ込まれている。

 最後の曲が終わり、疾風吹きやんだ後、渦巻いていたものが徐々に沈殿し始め記憶になってゆく。
そして数ヵ月後、その記憶が蠢き始め、みんなfuseのライブに行くのだろうと思う。

2014年8月29日 西村仁志

2014年8月21日(木曜日)

西海絢乃(vo)3 井上淑彦(ts/ss)川勝陽一(p)@野毛「DOLPHY」

豊かであるということ
シンプルなメッセージの伝え方がありがたい時もあるし、鬱陶しく感じる時もある。ではシンプルでない伝え方はといえば、メッセー
ジに装飾する事であり、廻り道をする事であり、迂回路を巡りながら、その装飾にうっとりとしているうちに肝心なものも伝わってしまう、という事なのだと思う。シンプルさに対して過剰で、機能的にはえらく能率の悪い方法で、誤解も生じやすいけれど、誤解の許されるような時、例えば詩とか、音楽とか、直接的でない方がいいことも大いにある。

西海さんの歌は、音楽の進む方向に吐く息が定まっていて、その上に言葉が乗って、安心して身を委ねられる。伴奏なしで歌ってもきっとしっかりした世界観をつくりだせるのだろうと思う。でもその場合、音楽の大きな流れは聴きとり易いけれど、細かな動きは聴く方が感じ取るしかない。それを一見(一聴)して解るように、川勝さんのピアノがリズムをつくり出して、ぐんぐんと音楽を引っ張って行く。リズムとメロディーが影響しあう、一つの世界を作っているように見える。だから井上さんはその背景となって、、、とか思っていると、積極的に吹いているように見える。歌では表現し尽くされない部分を、歌に寄りそって表現しているように思えたり、敢えて調和を崩して不安定さを作り出しているように思えたり、歌からインスパイアされた、歌の世界とはまた別の世界を対比させているようにも思えた。ストレートな表現とは反対の、過剰な表現になっているのだけれど、その適度な能率の悪さが何ともとても豊かで、歌の世界を乱反射させ、色鮮やかにしているように感じた。

背景に引いて周りを浮き立たせるのも素晴らしいけれど、前景に出て音楽を明るく飾る井上さんを聴くことができたライブでした。

西村仁志

2014年7月16日(日曜日)

てらだよしき(vo)グループ 井上淑彦(ts/ss)森下滋(p)カイドーユタカ(b)なりしげひろし(ds)@野毛「DOLPHY」

緊張とは反対の感覚は・・・
緊張感というのが、敢えて視界を狭くして、瞬間に、一点に注意を集中させることだとして、それを弛緩すればリラックスした状態になる。都会に住んでいると、ビルや何やらで視界は常に狭い状態で、何事もテキパキと素早いリズムにどうしても巻き込まれてしまう。
そこから抜け出すために、リラックスできる時間と場所を求める。緊張の弛緩した状態を、緊張の反対だと思ってしまう。 

てらだよしきさんの歌は重心が低く、聴く方をぐっと持ち上げてくれて、身軽さを感じさせてくれると書いた(4月13日)。
それに加えて今回感じたのは、「曲に対するイメージの伝え方が、緊張感とは反対の方向を向いている」と、いうことだ。視界を広くとり、時間の幅を 広くとって、全体を、物語の流れを強く印象付ける。聴く方をリラックスさせ、さらにその先の感覚を味あわせてくれる。
注意の方向が広がって、一人ひとりの演奏者が浮かび上がってきて、登場人物が隅々まで個性的なドラマを観ているような感覚。きっと演奏する人たちも同じで、瞬間の判断を迫られる管制官、というより、海況をじっと見据えて航海する船乗りのように音楽の流れを感じ取り、様々な引き出しからその場にぴったり合った演奏を選び取っているように感じた。だから聴いていて一曲一曲のイメージの違いが際立っていて、とても豊かに感じられたのだと思う。

日常の感覚では味わえないものを感じることができたライブでした。

西村仁志

2014年6月19日(木曜日)

原幸子(vo)&井上淑彦(ts/ss)&森下滋(p)@野毛「DOLPHY」

照らされる存在感
原さんの歌は一人ひとりを包み込むような感触をもっているけれど、今回のライブは新たな一面を見ることが出来たと思う。例えて言うなら、放射状に広がりを持っている声を、一か所に集めて放つ、といった感じ。聴く方の外側から働きかけて内面を揺さぶってゆく、張り詰めた空間にじっと息を凝らして聴くような雰囲気に、歌が一歩前に出て凝縮されたエネルギーを一人一人が受け取る、直接に体を揺さぶるような場面が加わったと思う。

 だから森下さんのピアノの伴奏も変わってくる。いつもの原さんの時とは違って、音の数も多めに、よりホップして、歌とともに一歩
前に出てくる。「原さんはこういう面も持っていたんだな」と、思いながら、井上さんを見る。そこでハッと思う。井上さんもこれにつられて、と思いきや決して前には出ない。もちろん、歌のない場面では出てくるけれど、音数少なく、じっと、控えめに佇んでいる。奥行き。ノリの良い音楽、それもいいけれど、前に出てゆく2人を、後ろでしっかりと繋ぎ止め、形あるものにして、きっとその安定に支えられ、二人も自由に振舞えるのだと思う。

 地球を挟んで、一方の側には昼の太陽、他方、太陽に照らされて光る夜の月。その月の様に井上さんは佇み、歌とピアノの光を浴びて、存在感が現れる、意図を超えた所でも表現が出来る、そんな力量を感じたライブでした。

西村仁志

2014年5月14日(水曜日)

原幸子(vo)&井上淑彦(ts/ss)&森下滋(p)@野毛「DOLPHY」

自然であるということ
例えば山を見て、何かを感じる。それが険しい山だったら、峻厳であるとか、荘厳であるとか。山にはもちろん何らかの意図があってその在り様になった訳ではないのに、それを眺める人間の方は、本人にとっては知ってか知らずか、思いを反映させての事だろうけれど、何らかの意味を見出してしまう。意図や欲望に絡まって生きている人間にとっては、自然な状態になる、ということはえらく難しい事なのかもしれない。
3月12日のレポートで、「原さんの歌には緊張感がある」と、書いたけれど、「きっとそれは原さんの歌がとても自然であるからじゃないか」、と思う。何というか、意味の依って立つところ、喜びとか悲しみとかの感情の生まれる処から歌っている、と感じる。
森下さんのピアノも、井上さんのサックスもとても繊細に、と言っても恐る恐るという訳ではなく、原さんの歌の感触一つ一つを慎重に感じ取りながら、大胆に、といっても大げさにという事ではなく、感じたそのままを、感じたままに率直に表現してゆく。そのコンマ何秒のやり取りを聴き逃すまいとして、ライブ空間はぴんと張り詰める。そうしてつくられたものは、感情に溢れたものではない代わりに、まるで一つの景色に見とれるように、聴く方の感情を溢れさせる。きっとあの場にいた人たちそれぞれに印象的な風景だったのだと思う。シーンと静まり返り、みんなジッと耳を凝らしていたように感じた。

帰り路、体が”フッ”と軽くなったような気分になったのは、景色に見とれた後の感覚と全く同じだった。

西村仁志

2014年4月22日(火曜日)

fuse 田中信正(p) 坂井紅介(b) 角田健(ds) 井上淑彦(ts/ss)@「モーション・ブルーヨコハマ」

fuse@「モーション・ブルーヨコハマ」
ホームグラウンドでのドルフィーではアットホームなfuseですが、モーション・ブルーヨコハマでは音の響きが異なるためか 少しよそ行きな雰囲気がしました。

ファースト・セットの最後「冒険」は、井上さんのサックスソロから始まり、紅介さんのベースが続きます。いつものドラムソロからの始まりも元気が湧き出てきますが、これも新鮮で良いなと思いました。
「クーナのダンス」から始まったセカンド・セットは、ファースト・セットとは趣きが変わり、ジャジーな演奏で進んでいきます。
アンコールの「ずっと・・・」は、雄大でしっとりとした感じがしました。

演奏を聴きながら ふと青いライトに照らされた壁に目を向けると倉庫として活躍していた時代にタイムスリップして、 木枠で覆われた荷物の間に蹲り、どこからともなく聞こえる音楽に耳を傾けている不思議な感覚を持ちました。
これまで幾度もモーション・ブルーヨコハマには来ていますがこんなことは初めてでした。

fuseの音楽に包まれて身も心もリラックスしていたからでしょうか。

岩崎智子

2014年4月18日(金曜日)

井上淑彦(ts/ss)スペシャルグループ 日原史絵(筝・琴)田中信正(p)吉見征樹(tabla)@野毛「DOLPHY」

充満しないという充実
西洋の音楽のうちでも主だったもの、特にクラシック音楽の演奏のされ方を思い起こすと、オーケストラにしても、合唱にしても、響きを前提にした空間で育ってきた音楽だからか、ホールも楽器の一つと感じられる位、音が空間に充満している事に気付く。音を伝える媒質である空気を閉じ込めて、一つの大きな世界を創り出す、それとは反対に、今回のライブの箏を聴いていて、邦楽の事は良く判らないけれど、きっと、庭園だとか、石造りで密閉された空間でない木の建物など、風の吹く音や、虫の鳴く音も聞こえるような空間、自然と共にあって、共に一つの世界を作るような、開かれた空間で育ったからこその音を感じた。
だから、かどうか解りようがないけれど、ライブは空間を注意深く満たさないように進んでゆく。洋琴と呼ばれたピアノも、その琴性を全開にして、アタックの強さと、細かな、流れるような動きで応じ、タブラも、鼓のような乾いた音と、ウシガエルの鳴き声の様な、空気が鼓の膜を押し返す様な音で、目に見えない空気を感じさせる。サックスは、時に尺八、時に篳篥(ひちりき)のように、箏に寄りそう。
「そう、この二つの和楽器、改めて見直せば、とても空気、というか、息、を感じさせる楽器だ。」
井上さんのサックスの魅力の一つもそこにあると思う。だからとても箏に合うのだと思う。
空気が息吹となって音になる、その生々しさが聴く人に生命力を感じさせ、メロディーを奏でる時には風を感じさせるクールでありながら熱い演奏になるのではないかと思う。

月夜にふと虫の声を耳にする時、感じているのは虫の声を媒介にした静寂であったり、その時々に思いを馳せている事柄であったり、虫の声そのものの向こうの、もしくは虫の声に反映させた何かであったりする。そのもの自体の広がりよりもはるかに大きな何かに、意識してか、無意識のうちにしろ、世界は広がってゆくように感じる。今回のライブも、そんな広がりを感じられるものだったと思う。

西村仁志

2014年4月13日(日曜日)

てらだよしき(vo)グループ 井上淑彦(ts/ss)堀秀彰(p)カイドーユタカ(b)成重潤蒔(ds)@野毛「DOLPHY」

空中浮遊
人間にもし自力での空中浮遊が可能だとして、重力の影響は免れないから、少なくとも自分の体を支えるだけのエネルギーは消費するのだろう。疲れそうだし、人間が空を飛ぶのは、プロペラをぐるぐると回転させるヘリコプター、浮力を得るために全速力ですっ飛んでゆく飛行機、燃料を爆発させてのっそりと浮かぶロケットを見ても、なんにせよ大変そうだ。 

てらだよしきさんの声は、なんというか重心が低い。
体全体から発せられるような歌声は、ライブ空間を包む、というより、下から空間全体を「グイッ」と持ち上げる。ベースですらも地面に触れることなく空中を弾むボールのようになり、ドラムもリズムを刻むというよりも、そよ風や突風を吹かせる送風機のようになって、その風に乗ってピアノやサックスは空中を滑走し、時に急降下、急上昇を繰り返す。歌によって宙に浮かんだ自分も、リズムを感じて体が動く、というよりも右や左に体を揺らし、「心地よい空中散歩」という気分になる。

「気分が高揚する」という。急に高ぶることはないから、それなりの過程を経て、それなりのエネルギーを使って、徐々に気分は高揚する。でもその辺の大変なエネルギーは歌い手に任せて、重心の低い歌声によって「フッ」と持ち上げられた気分は、余計なエネルギーを使うことなく自由な感覚を味わうことができる。

西村仁志

2014年4月5日(土曜日)

fuse 井上淑彦(ts/ss)田中信正(p)坂井紅介(b)つのだ健(ds)@野毛「DOLPHY」

fuse
とても心地よく、その世界に溶け込んでしまう素敵な演奏を聴いていると、時折、ステージの上のミュージシャンと自分の距離が接近し、ステージ上で聴いているような感覚に陥ることがあります。
今回のfuseのライブでは久しぶりにその感覚を味わいました。

ライブでは久しぶりの「Gratitude 」、新春3DAYSのために井上さんが作られた「歩む」、「マンボウ」、
そして恒例の「ずっと・・・」。
それぞれの曲が聴く度に、毎回どこかしら少しずつ違って楽しめるのですが、特に今回は最初の曲から最後の曲までの全体の流れ、バランスも絶妙だったと思いました。

そして、演奏直後の4人の皆さんの充実感あふれた笑顔がとても印象的でした。

岩崎智子

2014年4月1日(月曜日)

西海絢乃(vo)&井上淑彦(ts/ss)&川勝陽一(p)@野毛「DOLPHY」

歌の存在感
一般的な意味で、歌の上手な人というのはプロ、アマチュア問わずに結構いるのではないかと思う。カラオケが一般的になってだいぶ時間も経ち、日常生活にも浸透して、人にもよるけれども歌う機会というのは昔よりも増えているのではないか。
カラオケ自体も進化して、採点機能も付くようになって、音程はもちろんのこと、ビブラートのかかり具合、こぶしの回し具合いなんかも計測!できるようになった。そういうので高得点を取るような歌を聴いて、「へぇ、うまいな」と、思うこともある。でもそこには決定的に何かが欠けている。本当の歌の良さは、なんなら歌っていない時にも表れる。

 西海さんの手の動きからリズムが生まれ、イントロが流れ、歌が始まる。ここで何かが一斉に合流する。ピアノやサックスの奏でるイントロから、歌が始まることで、一つの大きな推進力になる。「ああ、そうなんだ」と、いう妙な安心感と共に、その流れを全身に受け止めて、聴く人は身を委ねて、演奏する人もきっと、流れに乗って自由になるのだと思う。
川勝さんはキーボードの左の方を中心に、重心低くズンズンと進んでいき、井上さんも流れに乗っていつもより軽快に跳ねる、跳ねる。お二人のソロを回す段になってもこの流れは続いて、ふと我に返ると、この二人の今の演奏は、西海さんは歌っていないけれど、生みだしたものなのだと気付く。

歌ってはいないけれど感じる存在感。

  人の声は感情にとても近い。笑い声、泣き声、怒声、歓声を表現し、敏感に感じ取ることができる。それは響き、整えられた歌声となって、リズムとなり、流れとなって、心地よい形で耳に入る。歌をライブで聴く面白さは、その波及を直に感じ取ることでもあるな、と 感じたライブでした。

西村仁志

2014年3月12日(水曜日)

原幸子(vo)&井上淑彦(ts/ss)&森田英介(p)@野毛「DOLPHY」

引力の生まれる場所
ちょっと遠く、顔がうっすら見えるところにいる人に何か伝えたいことがあるとして、大声を出して伝えようとする。
何かを伝えようとしているのは向こうに伝わったらしいが、聞き取れてはいないらしい。そこで一つの賭けに出る。もっと大きな声を出すのではなく、ささやく。向こうの人が気になって、こちらに寄ってくるかどうか、ささやく声が聞こえるところまで。

 音楽は大きな音で始まるとは限らないというのは、当たり前かもしれない。けれど、きっと小さな音で始めるのは大変だ。耳を傾けてくれるかどうか、だいたい、始まっていることにすら気づかれないかもしれない。そんなことは物ともせず、ピアノはハンマーの弾みの
重さ(軽さ)のまま、サックスはリードが震える境界のところで音を鳴らす。聞く人を、スッ、と抱くような声が広がり、空間がピンと張ったようになる。緊張感、というよりも、あまりの繊細さに、ちょっとでも動くと何かを台無しにしてしまうような感じ。繊細であるがゆえに、じっと見つめ、耳を傾ける。こうして舞台は整って、こちらは身を乗り出して、演奏に接近してゆく。演奏者の引力圏に捕らわれて、そこに繰り広げられる喜びや悲しみのドラマに惹きつけられてゆく。

惹(引)きつける力、引力、英語ではattraction、そういえばこれには魅力という意味もある。魅入らせる力、そんな感覚が味わえるライブでした。

西村仁志

2014年2月25日(火曜日)

2014年2月25日@DOLPHY
 金澤英明(b)スペシャルカルテット
井上淑彦(ts/ss)石井彰(p)石若駿(ds)@野毛「DOLPHY」

青い音楽
初めて井上さんの演奏に接したとき、青い色を感じました。
ワクワクするような青い色。「out of the blue」、突然に、という意味の言葉、青天の霹靂と日本語でも言います。「 the blue」 は青空のことで、そこににわかに何かが、例えば稲光が現れればそれはびっくりするでしょうが、現れるものの方ではなく、その地としての青空の青。街を歩いていて突然視界が開け、眼前に広がる空の青さにハッとして、何か楽しいことが起こりそうな予感がする感じ、きっと昔の船乗りたちが、不安と期待を抱きながら眺めたであろう茫洋と広がる海の青。

 井上さんのバースディにあたる2月25日、井上さんに、ベース金澤英明さん、ピアノ石井彰さん、ドラム石若駿さんという初のカルテットでのライブ。音数は少なく、ゆったりと大きなうねりを生み出してゆく石井さん、鋭く冷静なリズムを刻みながら、時にはハッとするようなシンバルを鳴らしガラッと雰囲気を変える石若さん、確固たる足取りで、しかしとても歌心に溢れるプレイをされる金澤さん。熱い演奏、演奏する方も聴く方も、頭をグルングルン回して陶酔するような演奏ではありません。もちろんそういうライブも素晴らしいし、例えばfuseにもそういう面はあります。でもそうではなく、じわじわと聴く方の心を揺らし、演奏が終わった後にも余韻が残る、世界に少し色付けしてくれて、何かワクワク させるものを残してくれる、井上さんの青が存分に味わえるメンバーであり、演奏でした。

夜空の星は赤く光る星よりも、青く光る星の方が実は温度が高いといいます。井上さん63年目(命が宿った瞬間を1年目)のスタートで、また新たな船出、まだまだ青く輝き続けるのでしょう。

西村仁志